AIに任せたら、楽になったはずなのに
不規則な仕事をしながら小学生2人を育てていると、毎日があっという間に終わる。
そんな中でAIを使い始めたのは、純粋に「時間を作りたい」という気持ちからだった。献立を考えるのが面倒な日はAIに聞く。学校の調べものも、プリントの整理も、気づけばどんどんAIに頼るようになっていた。
確かに楽になった。時間も生まれた。
でも、なぜか漠然とした不安が残るようになった。
私が今まで必死でやってきたことって何だったんだろう。
私がやってきたことの「価値」はこんなに簡単にできることだったのか…
「渡せるもの」と「渡せないもの」を棚卸しした
ある夜、子どもが寝たあとにぼんやり考えてみた。
AIに渡せたもの——献立、調べもの、文章の下書き、スケジュール管理。気づけばかなりの量だった。
じゃあ、渡せないものは?
しばらく考えて、ひとつ思い当たることがあった。
子どもの「なんで?」に答える力。学校から帰ってきたときの表情の変化に気づく力。「今日なんかあった?」と声をかけるタイミング。
子どものちょっとした表情の変化や話し方でいつもと違うなと思う感覚はAIにはわからないものかもしれないと思った。
私の「価値」って、何だろう
正直、まだ答えは出ていない。
ただ、ひとつ気づいたことがある。AIがどれだけ便利になっても、子どもの隣に座って話を聞けるのは、私だけだということ。仕事のスキルじゃなくて、そういう「人としての部分」が、これからの自分の軸になるのかもしれない。
手持ち無沙汰感を、無視しないでおこうと思った
AIにお願いしたあとの、あの奇妙な虚しさ。
最初はただの気のせいだと思っていたけど、今はこの感覚を大切にしようと思っている。
「自分にしかできないことって何だろう」——その問いを持ち続けることが、忙しい毎日の中でいちばん大事なことなのかもしれない。

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